受験を超えて

鎌倉の進学塾 塾長が考える、受験と国語とその先のこと- Junya Nakamoto -


中学受験か、高校受験か、それが問題だ

2016.09.29


都内では40%が、首都圏では20%前後の小学生が私立中学を受験しています。中高一貫六年間の私立教育は大変に魅力的ですし、受験で得られるものもたくさんあります。一方で、行き過ぎた中学受験勉強に対する懸念もあり、我が子の成長に合わせて高校受験を選ぶご家庭もあります。中学受験への向き不向きについて、中学受験、高校受験の両方を指導している学習塾の塾長目線でつづります。

中学受験の向き不向き

無限の可能性がある子ども達を型にはめて分類してしまうことには抵抗がありますが、少し強引にタイプで分けてみます。

中学受験に向いている子

  • 学校の授業に問題なくついていける。むしろ学校の授業は簡単で退屈、テストでは90点以上がほとんど
  • 素直、打たれ強い、負けず嫌い
  • 知的好奇心が旺盛(「なぜ?」をたくさん持てる、新たな知識を得ることへの喜びがある)
  • 文字を書くこと、文を読むことに抵抗がない
  • 体力がある
  • 私立の良さを話した時に目を輝かせる子

中学受験に向いていない子

  • 学校の授業のペースで分からないことがある。テストの出来もあまり良くない
  • 「幼い」と感じる子。わがままであったり、行間や空気が読めなかったりする
  • 言われなければやらない。勉強でも他のことでも
  • 我慢ができない、落ち着きがない
  • 親にやらされて嫌々塾に通う
  • 地道な努力がすこぶる苦手
  • 病弱(通塾・通学の面でも心配です)

やや乱暴にまとめると”早熟度”と”メンタルの強さ”が問われます。大人の考え方が出来て、新たな刺激や知識を求めることに貪欲で、目標に向かって頑張れる子ほど成功します。ただし、これは小学校三年生の時点では見えない可能性もありますよね。大手塾の中学受験のカリキュラムは、だいたい小学校四年生からスタートしますので、そのタイミングでは判断がつかないこともあるでしょう。

小学三年生時で決められれば良いですが、もう一年我慢して、小学四年生の間に気持ちが芽生え、受験への心の準備が出来てきたら、五年生からの塾通いでもギリギリ間に合います。もしくは小学四年生の間は、様子見で塾に通わせて、適性を見極めるという手もあります。
いずれにしても塾に行かずに中学受験で難関校に合格するのは、大変困難です。特に難関校での中学受験の専門性は、驚くほど高まっています。

また、「中学受験に向いていない子」で挙げた内容に当てはまるお子様は、このままでは高校受験でも失敗することになります。意図的にでも小学校高学年と中学一年生の間に、克服しておく必要があります。その上で、中学二年生頃から本格的に準備を始め、高校受験での飛躍を果たしたいものです。これらの能力は、受験のみならず社会生活を送っていく上でもとても重要なものなので、どこかで身につける必要がありますね。

私立中学には、たくさんのメリットがあります。別の記事で詳しくは書きますので、ここでは少しだけ。(参照:2016年10月15日記事「私立中学の良さ」

  • 校風と理念によるアイデンティティがあるので、家庭の方針に合致した学校を選べる
  • 中高一貫六年間の教育が受けられる
  • 先生の異動が少なく、子どもの成長を長いこと見てもらえる
  • 施設・設備が整っている
  • 様々な体験の機会が多い
  • 教員の学習指導力が高い(先生の異動が少なく、生徒の実力も大きく変動しないため、レベルにマッチした教え方の追求が可能)
  • 学校が常にハングリー(高い学費をもらっている責任感と、生徒が来なければ運営ができない危機感から)

少し目線を変えて家庭の環境について考えてみます。

中学受験に向いている家庭環境

  • 親も新たな知識や環境を得ることに貪欲か
  • いろんなことを一緒になって考えてあげられるか
  • 保護者が子どもの学習に関心を強く持てるか
  • 我が子のことを客観的にも見ることができるか
  • 失敗を受容してあげられるか
  • 学費をきちんと払えるか

中学受験の勉強は、失敗や挫折の連続です。失敗をするたびに叱ったり、がっかりしていては、最後まで持ちません。そして、入試そのものも失敗の可能性もあります。その時にそれを受容し、次に繋げられる親の覚悟があるかどうかはとても大きな要素です。

子どもの入試を、「親の資質」を試されるものと勘違いしている姿もよく見られます。我が子が受験に失敗したときに、親が失格の烙印を押されたとして本人よりも落ち込み、子どもに慰められるという話も聞きます。これでは、いけません。(子どもが成長しているという逆説的な見方もできますが)
受験は親のステイタスのためにするものではないのですから。

高校受験に向いている子

では、続いて高校受験に向いている子のタイプを見てみましょう。

高校受験に向いている子

  • 興味がたくさんあり、他に打ち込めることがある(私立中学の魅力がそれらを上回ることがない)
  • 誰とでもうまくやっていける
  • 私立中学の良さを語っても全然ピンと来ない
  • 地元の結びつきを重視し、周囲の友だちと同じような環境を選ぶ

要するに周囲の環境や、「気持ち」の問題で、中学受験を「選ばない」子ということになります。少し考えれば分かりますが、こういう子は気持ちさえ向かえば、中学受験でも高校受験でも成功します。その他の外部要因で、「受験をしない」という選択をしているに過ぎません。

そして、特にこのタイプの子は中学で荒波にもまれて、大きく成長を果たします。同質性の高い私立中学とは違い、多様性がありすぎる公立中学校では、私立では考えられないようなことも起きます。部活動も部によっては、行き過ぎと言えるほど熱心です。中学生活後半は塾通いも必要です。

ですが、「高校受験に向いている子」のパターンにも当てはまらない子も多いかもしれません。その場合は、とにかく「日々を一生懸命生きる」という抽象的なことができるかどうか、が大事になってきます。

公立中学校では、目の前にタスクが数多くあるので、特別優秀な子でなくても、時間の使い方、体力の分配、目標設定とそれに向けての努力など、必然的にスケジュール管理を自分で行っていくようになります。逞しさやバランス感覚が身につき、視野の広さや懐の深さを少しずつ培っていくように思います。

ですので、中学受験で塾を卒業した生徒の三年後と、公立中学に通っていて塾に在籍している中学三年生とを比べると、後者の方が「大人」であると感じることもしばしばあります。「高校受験」が控えていることも、大人への階段を一気に上らせるているのかもしれませんね。高校受験は、子どもが初めて自分で自分の人生を決める瞬間だと思います。悩み苦しみ、そして勝負をした経験は、かけがえのないものとなることでしょう。

ご長男が中学受験で難関私立に合格し、ご次男は「中学受験をせずに高校受験」という選択をされたご家庭の保護者から頂いたメールを転載します。

次男のこの三年間は、学校の勉強、部活、塾、何一つおろそかにせず走り続けた三年間でした。今回の受験に関しては、彼が独自に志望校を決め、他校に変更する意思もなく、合格に向けて努力を積んできました。

5年前に中学受験もさせていただいた立場から思うのは、やっぱり高校受験はいいな、ということです。
周りの子達を見ても、一人ひとりにドラマがあって、感動しました。

同時に中学受験は親掛かりの「お受験」だったのだと気付きました。我が家にはあとは犬しかいませんが、もしもう一人子供がいたら、迷わず高校受験を選びます。なんて言うと長男がかわいそうな気にもなりますが、彼は彼で私学でのんびりと楽しんでいますので、これはこれで、いいご縁をいただいたと思っています。

極論を言えば、
中学受験は親が選び、それに子が乗っかるもの
高校受験は子が選び、それを親が応援するもの
とも言えるかもしれません。

しかしながら、中学三年生(15歳)は成長途上。まだしっかりとした判断基準を持っていないかもしれません。生徒に志望理由を聞いても、二言目には「校舎が綺麗だから」「部活が強いから」「楽しそうだから」と答えます。下手すれば「なんとなく」です。

六年間子どもを預けるつもりで(高い学費を払う覚悟で)、親が本気で見定めた私立中高一貫校の方が、子どものためなのかもしれません。難しいですね。どれだけ言葉を並べても説明がつきません。親がその子の適性を見極めて、また周囲の大人や学校の先生、塾の先生に相談をしながら決めていくことをお勧めします。

いずれにしても、親が我が子のことを真剣に考えて話し合い、子どもの合意の上で進路・受験校を決めることが出来れば、それは中学受験でも高校受験でも素晴らしい経験になるということです。「周りがみんな受験するから」、「うちの子にはまだ早いから」、「家系に私立がいないから」、などといった理由で受験を決めてしまうのは、親子が本気で将来を考える機会を逃していることになります。

最後に…受験は悪か?

はっきり言いましょう。悪の要素もあります。特に中学受験で、自分に合わない塾に通ってしまった場合、いろんなものを犠牲にして、結果も達成感も得られず、成長も乏しいものになってしまいます。また、必要以上の時間的な拘束、そして過当競争を経て、力は出せたが、燃え尽きる。中学入学後に全く無気力になって、落ちこぼれて行ってしまうこともあります。そうなってしまった人にとっては、「悪」なのかもしれません。高校入試でも、周りと比べられ、自分の意思を持てず、進路選択も曖昧なまま、柳のごとく流されて受けた受験に意味を見出すのは困難です。

勉強の中でも、とりわけ「暗記力・情報処理能力・論理的思考力」を問うのが入試(中学高校受験)です。不合格だった子どもの人格や人生、全ての能力を否定したいわけでもなんでもない。一つの結果がそこにあるだけです。例えば、中学入試では「美的センス」「運動能力」「人間的魅力」を測ることはできません。あくまで受験は人生の中の一つの選択肢に過ぎません。(ここまで書いてくると公立中学の「内申」にも意味が見えてきますよね!?)

周囲の大人が、受験で子供達の何を試しているのかを知っておくこと。受験に際して自分と向き合う辛さに耐えている子どもたちにそれを伝えてあげること。結果は人生の評価ではないと分からせてあげること。それが何より大事だと思います。受験を通して、保護者の「いつもあなたを応援している」「素晴らしい人生となることを願っている」という想いが伝わったなら、それは素晴らしい経験となることでしょう。ですから、巨視的に見ると受験は決して悪ではないと思います。受験は「きっかけ」です。

目標を設定し、それを乗り越えるために計画し、達成までの距離を測り、必要な努力を積んでいく、という点で自分を律する能力が飛躍的に高まります。そして、充実した受験を経て子どもたちは輝きます。子どもたちが生き生きし、成長していく過程を応援し、見届けたいからこそ、私は今日もこの仕事を続けているのだと言えます。大事な機会である受験を「悪」としたくないから、今日も子ども達の前に立たせていただいているのだと思います。受験は「羽ばたき」です。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

迷っている保護者や子ども達の何かのお役に立てれば、大変幸いです。